私は、2日くらい前から熱を出して寝込んでいました。高熱が長く続いて、17日未明も寝苦しかったのを覚えてます。棚からタンスの上から物という物が一斉に落ちてきて、母親が身を呈してかばってくれました。
震災に遭ったのは小学3年の時でしたが、あの衝撃と恐怖は忘れようとも忘れられません。今日1日テレビで『あの日』の映像をいっぱい見たけど、うっすら涙が出てきましたもの…
私の家は山の中腹の強固な地盤の上に立っているので比較的被害は少なかったんですが、すぐふもとのお祖母ちゃんちのあたりは相当なものでした。公園に来てた給水車のとこに水汲みにも行ったし、地元に本部がある某お893さんのお屋敷に救援物資もらいに行ったし。その時外国のメディアが来てて取材してたっけ。
両親の教え子も何人か亡くなったし、勤めてた学校は避難所になって人でごった返して、両親は学校にへばりつきで。なので、しばらく四国の田舎へ疎開してました。あの時は環境と状況の目まぐるしい変化で、幼いながら精神的にかなり参ってたなぁ。。。高知の小学校の人たちはみんないい人たちばかりだったので、あんまりネガティブな思い出ばっかり書いてたらバチがあたりますけどね。
今の小学生は、世代的に全員震災を知らないんですよね…道徳の教科書の震災の話や、『しあわせはこべるように』をどんな気持ちで読んだり歌ったりしてるんだろう。
私の中では、本当に忘れられない記憶。忘れてはいけない記憶。といっても普段から震災のことを考えて生活してるわけではありませんが、今日この日くらいはシリアスに思い出して、考えに浸っていても良いですよね。
というわけで、今日の日記はオチも何もありません。ごめんなさい(笑)
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